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いわゆるロス疑惑と「一事不再理」の原則

1.

1981年のいわゆるロス疑惑「一美さん銃撃事件」に関連して、三浦和義氏が旅行先のサイパンでアメリカ当局により逮捕されました。
  三浦氏は一美さんを殺害した容疑で日本において起訴から最高裁判所まで実に15年間にもわたる審理を経た後、2003年3月、無罪が確定しています。
  いったん日本で無罪が確定しているにも関わらず、外国で同一の犯罪事実につき新たに捜査を受け、あるいは審理を受けるなどの刑事上の責任を問うことは許されるのでしょうか。今回は、この問題について取り上げたいと思います。なお、以下の記述は、三浦氏が「一美さん銃撃事件」の犯人であることを前提としたものではなく、三浦氏が犯人であるかどうかとは全く無関係であることをお断り申し上げます。

2.

一事不再理』とは、いったん無罪判決が確定したのであれば、全く同じ容疑で再度審理されることはない、という原則です。日本国憲法第39条は、「何人も・・・(中略)・・・既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。」として、『一時不再理』の原則を採用しています。
  裁判が確定したにもかかわらず、まったく同じ容疑について何度でも裁判を繰り返すことができるとすると、一体何のための裁判であるのかわからなくなります。そこで、裁判がいったん確定するとその判断内容が真実とされ、もはや争うことはできなくなります(これを裁判の「既判力」といいます)。『一事不再理』は、まさにこの裁判の「既判力」の現れであり、裁判制度が存在する以上、その当然の前提となっているものといえます。ですから、裁判制度が存在する以上、日本国憲法第39条のように明文化しなくても、民主主義国家であれば当然に認められる原則といえます。

3.

では、この『一事不再理』の原則は、自国内のみならず国境を越え全世界で通用するのでしょうか。
  実は、日本の刑法5条に大変興味深い条文があります。「外国において確定裁判を受けた者であっても、同一の行為について更に処罰することを妨げない。ただし、犯人が既に外国において言い渡された刑の全部又は一部の執行を受けたときは、刑の執行を減軽し、又は免除する。」というものです。この条文は、まさに外国の刑事判決の効力に『一事不再理』を認めないことを明らかにしています。
  そして、判例においても、外国で確定裁判を受けた者を全く同じ容疑で再び審理・処罰することは憲法第39条違反にはならないとされています(最高裁昭和29年12月23日判決)。
  この考え方に基づき、また、それぞれの国家の主権を尊重するべきことからすると、『一事不再理』の原則を自国内のみならず他国との関係でも貫くかどうかは、論理必然のものではなく、極めて政策的な判断によるものだといえます。現に、アメリカの多くの州では、『一事不再理』の原則は州内のみに適用されると定めています。

4.

では、アメリカ合衆国(犯罪地がカリフォルニア州であったことからカリフォルニア州の法律が適用されます)の法律は、『一事不再理』の原則を外国で受けた裁判にまで及ぼしているのでしょうか。
  事件があった1981年のカリフォルニア州刑法においては、外国の確定判決に対しても『一事不再理』の原則を及ぼすという被告人に有利な規定がありました。しかし、2004年9月にカリフォルニア州刑法が改正され(2005年1月施行)、外国での裁判について『一事不再理』の原則が及ばなくなりました。
  とすると、日本ですでに無罪が確定した「一美さん銃撃事件」について、三浦氏がアメリカ合衆国において審理されることに法律的な障害はなくなったようにも思えます。

5.

しかしながら、『一事不再理』と並ぶ刑法の重要な大原則として、犯罪行為時に刑事上違法とされていた場合にしか刑罰を科せられないとする『遡及処罰の禁止』の原則があります。
  犯罪を犯した者を処罰できるのは、その行為が刑事上違法とされていたにもかかわらず、あえてその行為を犯してしまったからです。もし、犯罪行為時に適法とされた行為について、後になってその行為は違法だからと処罰されてしまっては、人々は安心して生活することができないでしょう。そこで、犯罪行為後にその行為が刑事上違法とされたとしても、その改正法の効力を犯罪行為時にまで遡らせ、被告人に刑罰を科すことは認めらないとしているのです。
  日本の憲法第39条は「何人も、実行の時に適法であった行為については、刑事上の責任を問われない。」とし、アメリカ合衆国憲法第1条第9節第3項も、「遡及処罰法はこれを制定してはならない。」としています。また、日米両国も批准している市民的及び政治的権利に関する国際規約自由権規約)第15条第1項も「何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為を理由として有罪とされることはない。」として、『遡及処罰の禁止』の原則を定めています。
  この『遡及処罰の禁止』の原則が適用されるのであれば、三浦氏の日本における無罪確定判決に『一事不再理』の原則を及ぼさないとすることは、許されないのではないかが問題となります。なぜなら、1981年に三浦氏が犯罪行為を行っていたとしても、犯罪行為時に当時のカリフォルニア州刑法が外国での裁判について『一事不再理』の原則を及ぼしていたことから、その後カリフォルニア州刑法を改正したからといって改正法を三浦氏に適用することはできないようにも思えるからです。
  この点、争いのあるところですが、一般的には『遡及処罰の禁止』の原則は実体法(刑法など何が犯罪であるかを定めた法律)にのみ及び、手続法(刑事訴訟法など裁判手続きについて定めた法律)には及ばないと考えられています。犯罪行為時に犯罪であるかどうかがわかっていたのであれば、それにもかかわらず犯罪行為を犯した被告人の行為は非難すべきといえるからです。
  他方で、いったん無罪が確定したにもかかわらず事後的な法律改正により処罰されることになるという意味では被告人に酷であるのも確かでしょう。

6.

こうした議論のなか、20年前に米国で元妻を殺害した後、逃亡先のメキシコで殺人罪が確定した男が、仮出所後に再入国した米国で再び殺人罪に問われた事件の裁判が、4月11日に米カリフォルニア州サンディエゴ郡上級裁判所でありました。
  上記のように、カリフォルニア州刑法は、国外で起きた事件については一時不再理の対象外としていますが、今回の決定は「法改正を過去にさかのぼらせるのは連邦憲法に違反する」と判断し、州刑法改正前に他国で判決が確定している以上、米国で再訴追はできないとしています。
  この判断は、同じ主張をしている三浦氏にとっては有利にもみえます。しかしながら、三浦氏が日本で無罪となった殺人罪ではなく、日本の刑法にない共謀罪の容疑で逮捕されていること、また、上記の事件について検察側が控訴しており、決定が確定していないことから、三浦氏の裁判でも判断が踏襲されるかは予断を許さない状況です。

7.

 こうした議論を踏まえ、今回は皆さんに、日本で無罪が確定した人物が外国で再び審理を受けることの是非について一緒に考えてもらいたいと思います。
アンケートにお答えいただき、皆様の積極的なご意見もきかせて下さい。

  1. 日本で無罪となった以上、外国で再び審理することは認められない。
  2. 外国で再び審理を受けること自体は仕方がないとしても、事後的な法律改正により処罰されるのはおかしい。
  3. 仮に悪いことをしたのだとすれば、日本で無罪となっても外国で再び審理を受けるのは仕方がない

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