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参議院の議決と衆議院の解散

 郵政民営化法案について与党内の対立が激化する中、小泉首相は参議院で同法案が否決された場合に衆議院を解散する可能性に言及しています。しかし、解散・総選挙によって国民の信を問うとしても、法案を否決した当の参議院の勢力分布は総選挙によっては変更されないため、このような解散は無意味ではないか、そもそも許されないのではないかという見解も主張されています。もし、このような解散が許されるとすれば、衆議院にとっては「とばっちり解散」もしくは「腹いせ解散」ともいうべきものです。
 そこで、今回の特集では、郵政民営化法案の是非そのものではなく、参議院で内閣の重要法案が否決された場合において、それを理由に衆議院を解散することができるかについて、衆議院の解散という制度の趣旨、歴史を紹介しながら、皆さんとともに考えてみようと思います。この解散権の問題は、後述のようにその憲法適合性が裁判所にもち込まれても、司法判断になじまない問題として裁判所が判断を拒否することが予想されますので、より一層国民の皆様の意見が重要となります。

衆議院解散の歴史

 衆議院の解散とは、衆議院議員の任期が満了する前に、全議員の地位を失わせることです。衆議院が解散されると、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙が行われ、その選挙の日から30日以内に国会が召集されます(憲法54条1項)。
 日本国憲法が成立してからこれまでに、衆議院は19回解散されています。第4次吉田内閣の「バカヤロー解散」や第2次大平内閣の「ハプニング解散」など、その後の歴史に名前を残したものも少なくありません。

1948年12月23日第2次吉田内閣(※)
1952年8月28日第3次吉田内閣
1953年3月14日第4次吉田内閣(※)
1955年1月24日第1次鳩山内閣
1958年4月25日第1次岸内閣
1960年10月24日第1次池田内閣
1963年10月23日第2次池田内閣
1966年12月27日第1次佐藤内閣
1969年12月2日第2次佐藤内閣
1972年11月13日第1次田中内閣
1979年9月7日第1次大平内閣
1980年5月19日第2次大平内閣(※)
1983年11月28日第1次中曽根内閣
1986年6月2日第2次中曽根内閣
1990年1月24日第1次海部内閣
1993年6月18日宮沢内閣(※)
1996年9月27日第1次橋本内閣
2000年6月2日第1次森内閣
2003年10月10日第1次小泉内閣

 これらの解散のうち、※が付いている4回が、衆議院の内閣不信任決議可決に対抗してなされた解散です。これについては、憲法69条に規定があります。

憲法第69条
 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

衆議院解散の根拠は?

 では、それ以外の衆議院の解散は、何を根拠になされたのでしょうか。

 歴史的にみると、日本国憲法制定直後は69条以外を根拠とする解散は認められないと考えられていました。その根拠は、市民革命の時代にまでさかのぼります。市民革命は、市民の代表で構成される議会の権限を強化することを通じて君主の権限を制限し、市民の権利を守ってきました。このため、議会の権限を失わせる解散権の行使はできるだけ制限されるべきと考えられていたのです。憲法の起草に携わっていたGHQもこうした考え方に立っていたため、69条以外に基づく解散を想定しておらず、日本国憲法での最初の解散となった1948年の解散も、与野党の合意のもとに不信任決議がなされ、衆議院が解散されました(いわゆる「馴れ合い解散」)。

 しかしその後、69条によらずに衆議院を解散したいという内閣の意向から、憲法7条に基づく解散が考案されました。憲法7条3号は、衆議院の解散を天皇の国事行為としていますが、天皇の国事行為には内閣の助言と承認が要求されています。この内閣の助言・承認権を根拠に、憲法7条3号に基づいて衆議院を解散できるとするのです。

憲法第7条
 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
三  衆議院を解散すること。

 1952年の解散は憲法7条に基づく初めての解散でしたが、解散によって失職した国会議員が、同条による解散は憲法違反であるとして裁判所に提訴しました。しかし、最高裁判所は「現実に行われた衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤ったが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とされる内閣の助言と承認に瑕疵があったが故に無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである」として、高度に政治性があり、国家統治の基本にかかわる問題には、純粋に法律の解釈を任務とする司法の判断は及ばないとしました。解散の憲法上の根拠についての判断を避けつつ、訴えを退けたわけです。この判決によって、結果的に憲法7条による解散が許されることとなり、現在に至っています。

 現在では、衆議院が自由に内閣不信任決議を提出できることに対応し、衆議院と内閣の意見が対立した場合には、内閣も自由に衆議院を解散できるとしたほうが、国民の意思を衆議院の構成に反映させることにつながるし、また、このような緊張関係が保たれることによって、絶えず内閣と衆議院が国民の意思に近づこうと努力することになるとして、7条に基づく解散を肯定的にとらえる見解が有力になりつつあります。

他国の制度

 ここまで、日本の衆議院の解散の歴史とその根拠について紹介してきましたが、行政府(内閣)と立法府(議会)の関係について、他の国の制度をみてみましょう。

 まず、アメリカのように大統領制を採る国家においては、行政府による立法府の解散は制度として存在しません。大統領と議会がそれぞれ独立してそれぞれの権能を行使し、互いに相手を牽制することでそれぞれの独走を阻止するという仕組みになっているからです。(純粋な三権分立制)

 フランスやロシアも大統領制を採りますが、大統領の他に議会から信任を受けた首相が置かれており、議会の解散が規定されている点でアメリカと異なります。その点で、フランスやロシアの大統領制は、大統領制と議院内閣制の中間的な性格を持っているといえます。

 これに対して、イギリスやドイツなどは、日本と同じ議院内閣制を採用しています。つまり、行政府の長である首相は、国会議員から選出され、内閣不信任決議に対して、内閣は議会の解散で対抗します。
 もっとも、同じ議院内閣制といっても、国によって解散の難易や範囲は異なります。ドイツでは政権の安定を図る見地から、後任の首相を選出してからでなければ首相の不信任表明ができず、また、首相も自らの信任案の否決以外で議会を解散することができないため、首相の不信任・議会の解散が生ずるのは極めて稀とされてきました。しかし、先日、シュレーダー首相が自身の信任案を与党議員の棄権によってわざと否決させるという方法で解散・総選挙が実施されることが決まりました。
 また、イタリアやスペイン、ベルギーなどでは、下院だけでなく、上院も解散できるとされています。

 アメリカを除いて、各国とも解散の制度を置いているものの、実際に解散が行われる例はそれほど多くありません。過去60年あまりで19回もの解散が行われている日本とは好対照といえるでしょう。

衆議院の解散に制約はないのか?

 上にみてきたように、わが国においては、憲法7条による解散が認められているため、他の国に比べて比較的緩やかに解散が認められているといえます。とはいえ、全く無制約に解散をなし得るのでしょうか。

 この点について、ある見解は、衆議院の解散は国民に対して内閣が信を問う制度であるから、内閣の一方的な都合や党利党略で行うことは許されず、69条に該当する場合の他に、衆議院で内閣の重要法案や予算が否決された場合や、新たに重大な政治上の事件が発生した場合、内閣がその政策の根本的な変更を行おうとする場合に限って、内閣は衆議院を解散できると主張しています。

 今回のように、参議院で重要法案が否決された場合にも、内閣が衆議院を解散できるかについては、過去に例がありません。報道をみる限り、郵政法案の成否が注目されがちで、解散の是非もその点と関連して議論となっていますが、今回の問題はそれにとどまらず、内閣と衆議院、あるいは衆議院と参議院の関係についても、再検討を迫られることになるかもしれません。
 さて皆さんはどのように考えますか。

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