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被害者の人数に関する認識のずれ

~東京高裁昭和38年6月27日判決~

 「1人だと思って攻撃を加えたところ、そこにいたのは2人だった」という場合、犯人は何人分の責任を負うべきなのでしょうか?

 被告人Xは、酩酊状態で車を運転し、長男Bを背負って歩いていたAに衝突させ、両者を引きずりました。
 Xには「Aを車体の下に引っ掛けているかもしれないし、この状態で進行すればAを死なせるかもしれない」という認識がありましたが、事故現場から逃走したかったため、これを認容して加速・進行し、AとBを約300m引きずって死亡させました。

 積極的に「殺してやろう」と思っていなくとも、「これをしたら死ぬかもしれないけれど、それでもいい」という認識・認容がある場合、それは過失で死なせたのではなく、故意で死なせたとみなされます(未必の故意)。
 したがって、XにはAに対する未必の故意があったことは疑いありません。

 では、Bに対してはどうなのでしょうか。
 犯行時のXは、「そこにいるのはAだけ」と認識していたため、Aに対する殺意しかありませんでしたが、現実に発生した事実はAとBの死であり、結果とXの内心が食い違っています。

 この点、原審はXがBの存在を認識していたといえる証拠はないとしながらも、Bに対しても殺意を認定しました。
 これは、裁判で罪を検討する際、犯罪を「行為」「因果関係」「結果」という構成要素ごとに分けて考えるためです。

 今回の場合、Xは、

  1. 狙った客体(A)に攻撃し (=行為)、
  2. それによって (=因果関係)
  3. 死亡結果(A・B)を起こした (=結果)。

 このうち、Xの認識と食い違ったのは(3)結果の人数のみで、その他はすべてXの故意通りに進んでいます。
 A殺害とB殺害はどちらも同じ殺人罪ですし、事実とXの認識に違いがあるといっても、それは具体的事実(生じた結果の「数」)であり、(3)結果の範囲を超えてはいません。
 ならば、本件のように客体の「数」についての認識がずれていた場合は、犯意まで否定しなくとも、単に結果評価の「回数」を増やせば対応できると判断されたのです。
 以上から、Bに対しても殺人の故意を認めてよいとしました。
 これに対し弁護側は、事実認定に誤りがあるとして控訴しました。

 東京高裁は控訴を棄却。
 たとえ犯人が全く意識していなかった客体であっても、殺害する意思をもって「人」に暴行を加え、それによって殺害結果を起こした以上は、この結果についても殺人既遂の罪責を負うべきだとし、原審判断を支持しました。

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