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放火前の避難提案と故意

~福岡高裁昭和45年5月16日判決~

 狭い道で自動車を運転中、前方に人を発見。
 このまま進んだら、もしかしたら衝突してしまうかもしれない・・・
 このあとどう考えたかによって、結果的に衝突事故が起きた場合に成立する犯罪が変わります。

  1. 「まさか、衝突することはないだろう」
    犯罪事実が起こると思っていないため、主観は「認識ある過失」です。
    業務上過失傷害罪(刑法211条)が成立します。

  2. 「衝突しても別に構わない」
    犯罪事実の発生を認容しているため、主観は「未必の故意」です。
    故意犯として傷害罪(同204条)が成立し、(1)よりも重い罪になります。

 では、犯罪事実を認識しつつも、結果回避措置を講じたという場合の主観は、(1)と(2)のどちらなのでしょう?

 診療所に勤務していた被告人Xは、昇給の件で所長Aに不満を抱いており、その鬱憤を晴らすために同所への放火を決意しました。
 同所には手足の不自由な患者30余名が入院中で、そのうちのB(視力ほとんどなし)とCは老齢で歩行も困難な状態でした。
 Xはこれらの事情を認識していたため、死傷者の発生を防ごうと、放火前に入院患者らを屋外へ出そうと試みましたが、患者達はXの意図を察知できず、ほとんどの者が出ようとしませんでした。
 ついにXはそのままガソリンをまいて放火し、同所をほぼ全焼させました。
 その結果、逃げ遅れたBは間もなく焼死、Cは火傷により死亡したほか、8名が傷害を負ったのです。

 1審は、Xが「診療所に放火してもB以外は自力で避難することができるから、Bだけを救出すればよい」という判断のもとに放火したところ、意外にも火のまわりが早く、多数の怪我人を出したばかりか、Bの救助もできず焼死させたと認定しました。
 裁判官は、このXの判断が極めて軽率であることの非難は免れ得ないとしながらも、XがB・Cをはじめ多数の患者の死傷について予見・認容していたとは考えられないとして、殺人(同199条)と傷害の故意を否定したのです。
 これに対し、検察官は未必の故意を、弁護側はXの心神喪失ないし心神耗弱を主張して、双方が控訴しました。

 福岡高裁は1審判決を破棄しました。
 まず高裁は、Xには「想定の方法で放火すれば身体の不自由な患者らが死傷するかもしれない」との明確な認識があり、特に重症患者で放火地点の真上の病室にいたBとCについてはそのおそれが強いと認識していたと指摘しました。
 そのうえで、Xが避難誘導に失敗したにもかかわらず危険性の高い方法(多量のガソリンをまいて点火)で放火している点から、Xは死傷の結果の発生を認容していて、殺人と傷害につき「未必の故意」があったと判断しました。
 Xに患者らの死傷結果を避けたいという気持ちがあったことは明らかでも、放火により不可避的な死傷結果の発生が予見される以上、これに対する特別の防止措置を講じないままに放火したとすれば、死傷の結果につき責任を負うのは当然と考えたのです。
 以上より、Xに殺人罪、傷害罪の故意を肯定し、両罪を成立させました。

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