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皆で考えよう!法の建前と現実

【質問】「脳死」を人の死とすることに
(投票総数:535票)

賛成 
392票 (73%)
反対 
143票 (27%)

投稿一覧

反対

本人に意志の有無なく脳死移植をするためであると予想されるため、反対。
脳死移植は自分の意志で決めるもので、家族や医者が決めるものでははい筈。

み(東京)

11月9日 9時17分

賛成

生前に臓器提供または本人の希望がある事、又は本人の意思表示の出来ない内に脳死に至った場合は、血縁者の承諾がある事を絶対条件として、脳死を死としても良いのではないかと思います。
生物としては、心停止をもって「死」とするのが自然なような気がするので「反対」とも思いますが、移植しか治療の道のない病気の人々の事を思うと、提供者または提供者の関係者が納得の上であれば、脳死状態での臓器提供が望ましいと思います。よって賛成です。

ぷよん(埼玉・30代前半・女性・パート/アルバイト)

11月8日 20時24分

賛成

消極的に賛成。

臓器移植のために、人の死を、心停止ではなく脳死で判断するというのは感情的にはあまりいい気持ちがしないが、移植する場合は、やはり、脳死時点で行いたいというのが実際であるので、消極的に賛成。

心停止の場合は、今までも蘇生の実例があるのだから、心停止その他の要件では、「人の死」とは決め付けられない。
脳死の場合の蘇生の実績が100%ないのであれば、脳死を「人の死」として良いのでは。本当にないのかどうか判りませんが。

移植に際しては、生前に本人が「脳死となったら移植していいよ」と同意していればいいでしょう。
“反対”の人は、同意しなければ良いので、賛成か反対かを問いかけてどうこう決める必然性はないのでは。

脳死にしろ心停止にしろ、臓器移植を行うにしろ行わないにしろ、生前に本人や遺族の承諾なしに遺体をどうこうしてよいわけではないでしょう。
移植治療を待っている人には切実な問題ですが。

冒頭で“賛成”と言いながら、文面では否定的になりましたが、「移植していい」と思う人のために、医師が動けるための法律は必要なので、“消極的に賛成”という立場です。
私自身は、死んだときには、すべてを灰にして海にばら撒いて欲しいと思っています。移植が必要になった患者の立場になった場合は、正直よく判りませんが、強引に移植をしてもらってまでとは思いません。

たっち(愛知・40代・男性・製造業)

11月8日 18時37分

反対

脳死というのは臓器移植のために決めた人為的死だと思うので反対です。

K(熊本・30代後半・男性・サービス業)

11月8日 16時51分

賛成

本来、脳死の状態に陥れば、まもなく心臓・呼吸が停止することになるが、現代医療技術の発達に伴い「脳死」の概念が生まれた、といわれています。脳死に陥ったとして、人工的に心臓や肺を動かす、動かせることは医療技術上の問題であって、それ以外のなにものではないと思われます。

kobu(東京・50代・男性・サービス業)

11月8日 15時37分

反対

なにをどう説明されても、感情がついていきません。温かい体を「死体です」と言われても納得できないんです。

きく(埼玉・30代前半・女性・建設業)

11月8日 14時16分

賛成

脳死が人の死であるというのには賛成する。

しかし、臓器移植可かは別問題。
全員強制的に臓器提供なんて法律や、
本人が拒否を表明していなければ臓器摘出する というのには反対する。

すでに、生体移植は他人では許可されないので提供者と偽装(?)結婚する人がいる。
外国人籍の配偶者からの移植が報道されていた。
すでに、病気と偽って取り出した臓器を移植したという疑いをもたれている病院もある。
本当はどうだったのかは。。。
すでに、ある患者を助けるために別の死にそうな患者の死期を早めている可能性は否定できない。
まだ脳死になる前に、移植準備の投薬があったとする特集番組があった。

臓器をとるために殺す。
ある種の人間はとても利己的で貪欲だ。

現在、健康診断などでついでに臓器の適合性を不法に調べることは可能である。

悪徳医師と金持ちとで交通事故を装って臓器提供者を作り出すことが可能だということだ。
映画かSF小説のようなことが事実になると、アメリカのビル崩壊で証明されたではないか?
臓器の順番待ちをクリアするのも、適合率の優先順位とかで方法はあるでしょう。

一般市民が金持ちへの臓器提供者として作られる可能性を否定できないので、
角膜などの誰へでも提供できるものだけ提供し、適合率が問題になる臓器はあえて提供しないと書いたドナーカードを持っている。

現実に殺人を犯すくらいなら、
ドナーカードの偽造もするだろうからあまりけん制にはならないかもしれないけど。
しかし、拒否を表明していなければ臓器提供ということになったら
提供しないと書いたドナーカードを捨てるだけで成り立ってしまう。
あるいは、全員強制的に臓器提供なんて法律が出来てしまったら。
臓器用殺人を誘発してしまうと思うのは考えすぎではすまない。

全員強制的に臓器提供なんて法律を作るなら、提供物は有償にしてほしい。
保険金殺人ならぬ臓器殺人されても、
金持ちの他人に殺されて無料でとられるよりは、
殺人者以外の家族の役に立つだけましと思いましょう。←これは皮肉よ?判るでしょうけど。

どこかの研究所で不法な卵細胞実験してでも、臓器クローン作成に成功してくれないかな。
クローン人間で脳まで作ってしまうと人権が発生するけど、
患者の細胞から心臓とか腎臓とか部品単位で育成できれば誰も犠牲にならずに済むから。

病人には申し訳ないけど、殺人してまでの臓器移植はご遠慮願いたく。
臓器クローンはいずれSFではなくなると思うので、それまで待って。

臓器提供用部分クローン作成を待つ(東京・50代・女性・コンピューター関連)

11月8日 13時15分

賛成

美濃屋篠兵衛さん。
・・・
いやな予想ですが、現在(1)~(6)で規定されている脳死判定が将来「平坦脳波」だけに改訂されるとみています。なぜなら、移植手術を成功させるためには『心臓が動いている死体』を必要とするからです。この改訂の後におそらく法律で死体の臓器提供を義務づけるのだろうと。
『死』の定義の変更は「心臓移植手術」のために行われました。ならば同じ理由で縛りのきつくない定義に変更される事、より「心臓移植手術」を成功させるように変更する事は十分にあり得ると考えています。
・・・
この予想だけは当たらないことを祈っています。
私は臓器提供という問題はなしにして、単純に脳死=死であると思っています。
そのさきに臓器提供を行うかどうかという判断があるわけですが、これは納税や勤労などの義務(勤労に関しては果たしていない方もいますが)ではなく、権利として見ていきたいですね。
世の中にはいろいろな人がいるわけですから、「私は死んだらどうせ不要になる臓器なのだから他の人に役立ててほしい」「私は自分の身体を切り刻まれるのは嫌だ」両方の意見があって当然だと思います。それを他の力によって強制されるのは嫌ですね。
もし上の予想が当たっていくのだとすると、それはまさに国の強要罪であると思います。
まあ、法律として制定されてしまえば罪にならなくなってしまうのですが、そのような法律だけはあってほしくないと思います。

たとえ脳死を死と定義するようになっても(私はそうなのですが)、臓器提供をするかしないかというのは選択できるようになっているべきであると思います。

いとへんさん。
はじめまして。
・・・
申し訳ありませんが、この記事を書いた人は、脳死移植に想像力が足りない気がします。この問題は、yes/noで簡単に答えられるものでは無いのです。この設問には、分からないという選択肢が無いとリアリティが無くなります。
・・・
これはどうやっても無理な話です。
これだけたくさんの人たちがいる中で、その人たちの答えを全て予想して選択肢を作れというのはほぼ不可能です。
逆に「分からない」というのを入れてしまうとおそらく設問者の本来の意図とは違ったものになってしまうと思います。
今回のいとへんさんのお答えを見ますと、家族に対して行うなら脳死状態での臓器移植は喜んで行いたいということですよね。であれば「脳死状態での臓器移植に賛成か」という問いであれば「条件付で賛成」となるでしょうし、今回の設問である「脳死は死か」という問いには「賛成」となるはずです。
でなければ、脳死状態での臓器摘出は「本人の同意なき生体臓器移植」となります(普通生体からの臓器移植は提供者の同意があるはずですよね)から、単純に考えて傷害罪に相当する行為になるはずです。

ねこじゃらし(埼玉・30代前半・男性・製造業)

11月8日 12時57分

賛成

賛成だけど、分からないが正しい所です。

私は、生物系の大学を出ているので、脳死状態が起きると、脳に不可逆的ダメージが起きる事を知っています。脳死は、心臓は動いていても、文字通り生ける屍です。

そんな私が、妻が出産の時、産婦人科待合室で臓器移植カードを見かけました。「もし、生まれて来る子供が、移植しか助かる方法が無い病気になった時どうしよう?」
この世には、臓器移植でしか助からない人がいるのです。自分は欲するのに、他人にあげるのは嫌だというのは、エゴではないかと考え、私は迷わず全臓器の提供チェックを入れ、カードにサインをしました。

ところが5年後に脳死になったのは、私の妻だったのです。脳死判定をした訳ではないので、正確な診断ではないのですが、脳内出血を起こして心肺停止状態が長く続き、救命措置によって、心臓は動き出しましたが、自発呼吸は戻らず一週間後に死亡しました。

妻は、カードを持っていないので、脳死移植は出来ないのですが、果たして本人が希望しても私は同意出来ただろうか?横たわる妻の手を握りながら考えました。答えは「難しい」でした。そこに横たわっている妻は、生ける屍であることは理解できます。しかし、妻の手を握りながら、出会ってから今までの思い出を語り続ける作業を、自ら止めることは出来ません。

しかし、私の子供が移植でしか助からない病気だったらどうでしょうか?妻の臓器で子供が助かるのなら、脳死移植に同意すると思います。他人の為なら躊躇しても、身内なら迷わず承諾するのです。エゴです。自分勝手です。でも人間の本音なんて、そんなものではないでしょうか?(日本では小児移植が禁止されているのは知っています。)

記事では、日本人の伝統的な「人の死」などと書いてありますが、日本人が全員同じ倫理観を持っている訳では無いのです。脳死移植に積極的な考え方をする人もいるので、その人たちの選択を法律が妨げる必要は無いのです。そして、その尊い選択によって、救われる命が有るのです。

申し訳ありませんが、この記事を書いた人は、脳死移植に想像力が足りない気がします。この問題は、yes/noで簡単に答えられるものでは無いのです。この設問には、分からないという選択肢が無いとリアリティが無くなります。

いとへん(千葉・40代・男性)

11月8日 10時36分

反対

現在は、人間の死は心臓死である。

この定義を恣意的に変更できるという前例を作ってはならないと思う。
一度認めてしまったら、歯止めが利かなくなる。
移植ビジネス推進のために、将来、1週間以内に脳死の確率が90%であれば、
それは「死」だ、とか、一定の高齢者は「死」だとか解釈が広がる可能性は
否定できない。

脳死状態で、つまり死んでいないが近く確実に死が訪れる状態で、生体移植が
可能かどうかという議論を、まずはすべきだろう。
とあるビジネスのために人の死の定義を恣意的に解釈するのはいかがなものか。

とめ(千葉・30代前半・男性・教育関連)

11月8日 9時26分

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