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皆で考えよう!法の建前と現実

【質問】「脳死」を人の死とすることに
(投票総数:535票)

賛成 
392票 (73%)
反対 
143票 (27%)

投稿一覧

賛成

私自身、家族に対してそのむねを伝えてある。

脳死=自己の意志が反映されない=ヒトとして確立していない。と考えるため。

mitt(東京・30代後半・男性・建設業)

11月8日 8時39分

賛成

おそらく、臓器移植=他人の死を待つハゲタカ…というイメージを持つのは
先の募金を掻き集めて、アメリカで追い抜かし手術をする輩(死ぬ死ぬ詐欺?)がいるせいで
イメージダウンしたのかと思います。
が、日本でもちゃんとインフラの整備をすれば、少なくとも今よりは移植の可能性が広がり
わざわざ声を上げて募金をする必要もなくなると思います。
さて、そうなってしまうと困ってしまうのは
いったいどこの団体さんなんでしょうか?

ごはん(北海道・30代前半・男性・製造業)

11月8日 3時52分

反対

こんにちは ねこじゃらしさん。
はい、違うのは「平坦脳波」の有無、「心臓停止」の有無だけです。
心臓が(無理矢理かどうかは別にして)動いているにもかかわらず、『死』を宣告するのが「脳死」と認識しています。
心臓が動いている必要があるのは「心臓移植」のためです。
私としては心臓が止まってから死の宣告をしていただきたいですね。その後は移植に使おうとかまいません。
はっきり言って、心臓移植を行いたくて待っているような医師に「脳死判定」をされるなんてまっぴらごめんです。自分の家族も明確に死んだと納得ができる印(瞳孔拡大・呼吸停止・心臓停止)によって判定していただきたい。
今の医師の現状を見ると、ある患者を助けるために別の死にそうな患者の死期を早めてもやむを得ない、なんて認識を持っていそうですから。
いやな予想ですが、現在(1)~(6)で規定されている脳死判定が将来「平坦脳波」だけに改訂されるとみています。なぜなら、移植手術を成功させるためには『心臓が動いている死体』を必要とするからです。この改訂の後におそらく法律で死体の臓器提供を義務づけるのだろうと。
『死』の定義の変更は「心臓移植手術」のために行われました。ならば同じ理由で縛りのきつくない定義に変更される事、より「心臓移植手術」を成功させるように変更する事は十分にあり得ると考えています。
脳波が止まったら、人工呼吸器をはずして心臓停止を待ち、死の宣告を行う。
死ぬときはこうありたいです。

美濃屋篠兵衛(岐阜・40代・男性・製造業)

11月7日 22時43分

賛成

脳死を治療する方法が今は無い以上、
一人でも多くの人を助けるためにはやむをえないことだと思う。

suke(千葉・10代後半・男性・学生)

11月7日 22時36分

賛成

心臓が止まっていれば死んでいると言う考えには同意できない。
もしそうならば心臓マッサージも人工心肺を利用した手術も合理性が無くなってしまう。
脳が死んでこその死だ

H.I(神奈川・40代・男性・コンピューター関連)

11月7日 21時38分

反対

死とは心臓の拍動が停止し体温も下がり呼吸も停止し、誰が見てもわかるものだ。 医師が各種検査をし、心臓が動き温かい血が流れている人を死とするのは認めるわけにはいかない。
脳が死んだら脳死なら足が壊死したら足死か 失明したら目死か。足が壊死して切断しても 目が見えなくなっても そして脳が機能しなくなっても呼吸をし温かい血が流れている限り生きているのだ。
脳死というのは他人の命を犠牲にしてまでも自分の生命だけは助かりたいと思う人が自己を正当化するために作った言葉だ。
心臓 肝臓が摘出されたら死んでしまう。たとえ残りの寿命がわずかでも
許されることではない。瀕死の重病人に止めを刺すことではないか。

「『』の判定基準について」
人の死に判定基準はいらない。人類誕生以来、人の死は心臓が動いているか、とまっているかで判断してきた。そしてそれでなんら問題はなかった。
生死の判断は医師がするものではない。何時 どこで 誰が見ても生きている人は生きていて、死んでいる人は死んでいるのだ。

あられ(東京・50代・男性・製造業)

11月7日 20時54分

賛成

大学時代に法医学の授業で脳死した脳組織の写真を見ました。
その教授曰く『テレビ討論とかだと、この写真出すなって言われるんだよね。【見たら意見変える人が多いから中立性を損ねる】からだって』

脳死になった人は、考えることも感じる事もできなくなってます。単に心臓のポンプのスイッチが切れてないだけです。

神奈川県民(神奈川・30代前半・男性・金融/不動産)

11月7日 20時40分

賛成

後は心臓が止まるのを待つだけですからね。

.(広島・20代後半・男性・建設業)

11月7日 16時48分

賛成

美濃屋篠兵衛さん。
こんにちは。

・・・
保守的ではありますが、人類が何万年という歴史の中で入手してきた判断基準である、「呼吸・脈拍の停止および瞳孔散大の三徴候を基礎」とした三途の川を渡りきったかどうかの判定基準を、いまはまだ適用していくべきと考えます。
・・・
記事を読んだ限りでは、脳死判定の中に自発呼吸の停止と瞳孔散大は盛り込まれています。残りの脈拍は機械で無理やり動かしている状態ですよね。脳の機能が回復する見込みがなく、機械のスイッチを切ってしまえば脈拍までも止まってしまう状態を生きているといえるのかどうか・・・。
医療現場では確かに機械で呼吸や脈拍を安定させる場面が多くあると思いますが、やはり「脳の機能が回復する見込みがない」というのは大きいと思います。

偽装の可能性を危惧していらっしゃいますが、これはもう医師の倫理観にかけるしかないと思います。現在であっても、例えば骨折で運び込まれた患者を殺し、その臓器を移植に使用することが不可能ではありません。極端な例ですが。
でもお金を積まれて偽装する医師がいる可能性があるのなら、もはやどのような可能性も考えられます。書類さえ偽造してしまえば健康な人も死人にできます。
そうしない倫理観が医療関係者には求められると思います。
偽装を止められるとしたら、厳罰化しかないと思います。厳罰というよりは、もはや殺人罪になると思いますが。
しかも私利私欲から行ったものですから、死刑もありえますよね。

・・・
モニターに表示された「平坦脳波」を家族に見せて、移植医が「ご主人は脳死状態になりましたので、これから臓器を取り出させて頂きます。」なんて場面を想像してみて下さい。
・・・
これは単に臓器移植を拒否すればいいだけの話ではないですか? どんなに臓器移植が加速しても「脳死状態が確認されたら本人や家族の意思とは関係なしに医師の判断で臓器の摘出を可能とする」なんていう法律にはならないと思います。

つまりは、脳死だろうが何だろうが臓器提供はしない。という人はそれを貫けばいいだけで、脳死状態になっても臓器摘出はされずにすみます。あとはその状態のまま無意味に生きつづけたいか、とっとと殺してほしいかという判断をするだけです。
この話だけに限定すれば私自身はすぐに機械のスイッチを切ってほしいと思います。

ねこじゃらし(埼玉・30代前半・男性・製造業)

11月7日 16時23分

反対

>ねこじゃらしさん
>「人が自分の意思で行動できなくなったとき」を人の死だと思っています。
非常に良く理解できるご意見で、私も同意したいのですが、
『「人が自分の意思で行動できなくなった」と本人以外(他人)が認めたとき』
が、今の人間社会の『死』判定ではないでしょうか。
自分の意志で『死』を判断するのではなく、他者の判断に任せざるを得ない。
ここに脳死判定に対する根本的な問題があると思います。
極端な話、まだ本人が生きていると思っていても、「おまえはもう死んでいる・・・。」なんて宣告された日にはたまった物ではありません。
保守的ではありますが、人類が何万年という歴史の中で入手してきた判断基準である、「呼吸・脈拍の停止および瞳孔散大の三徴候を基礎」とした三途の川を渡りきったかどうかの判定基準を、いまはまだ適用していくべきと考えます。
脳死判定基準中、「平坦脳波」の測定は脳波を測定できるようになった現代の技術でしょう。まだ100年も経過していない機器に『死』の判定を任せるというのは・・・。
また、ここに人の意図が入り込む可能性を考えると、恐ろしくてなりません。
脳死判定の他の基準は薬物により偽装できるかもしれませんが、脳死判定の問題が臓器移植と絡んでいる以上、薬物の使用は出来るだけ避けるでしょうからとりあえず偽装の可能性は低いと判断しています。
モニターに表示された「平坦脳波」を家族に見せて、移植医が「ご主人は脳死状態になりましたので、これから臓器を取り出させて頂きます。」なんて場面を想像してみて下さい。
モニターのケーブルはPCのような外観の金属箱につながり、自分の頭に着けられた電極からでたコードもその箱につながっている。そして金属箱の中はどうなっているかわからない・・・・。
私は臓器移植を全て否定するつもりはありません。
死んだ後なら、女房・子供・友人・親類・その他の方々(優先順位です)に臓器を役立ててもらう事に異論はありませんが、死ぬ前に差し上げるのは考えさせてほしいですね。

美濃屋篠兵衛(岐阜・40代・男性・製造業)

11月7日 14時18分

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