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皆で考えよう!法の建前と現実

【質問】あなたは尊厳死を認めるべきだと思いますか
(投票総数:771票)

認めるべきだと思う 
740票 (96%)
認めるべきだと思わない 
31票 (4%)

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認めるべきだと思う

私の父は、自分の葬式を手配し、延命治療を拒否して2年前に亡くなりました。
亡くなる前までに、父自身の考え方を家族みんなに話して、私たち家族は十分納得して行ったつもりですが、どうやっても父自身が最後を見ることが出来ないので、あくまで「私たちの解釈はこうだったよ」としか言えませんが、この父の件だけでも、私には尊厳死=自分で死に方を決める事が出来るだと思います。

neko(東京・40代・女性・サービス業)

4月19日 13時36分

認めるべきだと思う

様々な人の人生の中で、いろんな形があり、それを実現しています。
たとえば、死にかんしても自己設定できるのなら、安心できます。なにより、自分以外の人々に苦労をかけることに、気がひけるからです。
すべての治療をほどこしても生きる可能性がないのなら自然に死を迎えるほうが人間らしいと考えます。家族の精神面への配慮がなされることは言うまでもありません。

ボブ(東京・女性・学生)

4月19日 12時38分

認めるべきだと思わない

「認めるべき」 → 「認めるべきではない」へ変更しました。


自分が死に際で苦しむのなら、尊厳死を認めて欲しいと思うのは人間の心情。
でも、電気のスイッチをパチンと切るように簡単では無いはずです。

本当にそう感じるのは、死の苦しみの中で尊厳死を考える本人ではないでしょうか。痛みや苦しみ、絶望の中で尊厳死を選びたいと思う私たちは、苦しみの果てにある自然死が怖いのです。

その自然死の恐怖にさえ耐えられずして、果たして自ら死を選べるのでしょうか。スイッチを押せるでしょうか。

費用もかかるしチューブだらけになってまで生きていたくない、と健康な人は考えるかも知れません。

でも、チューブだらけになっている本人は、生きたいからそれを選ばざるを得ないのでしょう。治る見込みがなくても「生きたい」という気持ちがそれを選らばざるを得なかったのでしょう。

健康な人間が考える尊厳死と、極限の状態の方が考える尊厳死は、捉え方が違う気がしてなりません。

痴呆など様々な状況がある中で、「尊厳死」と一概に論じるのは大まかすぎる気がします。それを決める基準が一つに定まりませんし、定めたとしても納得しない人が大勢出る可能性があります。だから今日に至って未だ尊厳死が認められないのでしょう。

本当は、どんな人間も生きたいはずです。
生きる見込みがない病状の人ほど、生への渇望は強いはずです。

家族の看護や経済的負担を考慮した尊厳死は、死に行く本人の尊厳にはなっていない気がして止みません。

最上の救済法は、この現在の瞬間を精一杯生きる事だ。(ゲーテ)(30代前半・女性・自由業)

4月18日 20時45分

認めるべきだと思わない

「尊厳死をどういう場合に認めるべきか」について、皆が納得するように法で規定することが、あまりに難しすぎます。
例えば、「医療費がたくさんかかるが、『預貯金がそろそろ無くなりそうだ』と妻に聞かされた」という事情で、病人である夫が尊厳死を希望した場合に、「本人の意志だ」といって尊厳死にしてよいのでしょうか?
例えば、発作が起きて苦しい時には「もう殺してくれー!」とわめいた病人が、発作がおさまったら違うことを言う場合には、どうしたらいいでしょうか?
例えば、遺産を早く相続したい息子が、「『自分は延命治療を望まない』と父は以前から話していました」と言った場合、この息子の言うことは信用していいでしょうか?

からこん(東京・40代・自由業)

4月18日 20時31分

認めるべきだと思う

食べる・寝る事しか出来ないのに呼吸器などで寿命だけが延びたとしても趣味など出来ないし、そんな方は、短い人生を自分の趣味をしつつ生きる方より苦痛だと思います。

特に植物人間のようになった方を呼吸器などで長生きさせるってのはどうも納得いきません。少しでも症状が良くなることが前提なら良いのですが。

ファイナル○(岩手・20代前半・男性・その他)

4月18日 20時6分

認めるべきだと思う

”苦”から逃れる事も人間の権利の一つ。”自殺”と混同しない見識が必要。

へこきざる(神奈川・60代・男性・自由業)

4月18日 19時54分

認めるべきだと思う

尊厳死を法的に認めるということは、どんなに確率が低かろうと、
様々な事態を想定していなければなりません。
一般的に尊厳死といわれると、どうしても高齢者の方を
思い浮かべるかもしれませんが、必ずしもそればかりではありません。

基本的には尊厳死は認めるべきだと思いますが、そのためにはかなり詳細な
基準作りが必要だと思います。

今思いつくところでは、

・本人の意思確認は必要
その確認の方法及び基準が必要。20代で同意書を書いたとして、
60歳になっても意思が変わってらないということは絶対ではありませんので、
有効期間なども必要ではないでしょうか。
また、本人の意思は何歳から必要なのかも問題です。
3歳でも必要なのか?12歳は?

・インフォームドコンセントの確立
正確な医療情報が必要。たまたま入院した病院で「回復の見込なし」と判断され、
尊厳死を選らんだとして、あるとき同じような病状でも他の病院では
「回復の可能性あり」と判断されていることを知ったらどうでしょうか?
事後訴訟のようなものが増えそうな気がします。

・「回復不可能」という基準
上記につながりますが、どんな医師でも統一した基準に従って、
客観的に判断できるような基準作りが絶対的に必要でしょう。
それは病状や治療期間等の複数の基準が必要だと思います。

・延命治療における経済負担
飛躍しすぎた考えでしょうが、尊厳死が認められるということは、
「尊厳死を認めた以上、延命治療に関する負担は自己責任の範疇」
ということもありえます。
こうなると経済格差による医療問題となってしまします。

非常に難しい問題であり、自分が高齢者になった時のことのみをを考えて、
安易に決められる問題ではないと思います。

tom(東京・30代後半・男性・マスコミ)

4月18日 18時25分

認めるべきだと思う

現在の社会環境、モラル等を考えると自分の知識の中では尊厳死が必要である、それは他の人に自分の死を委ねることにより、罪を負わせなければならことになるから。
今は、もう良いか?を許される時代

華寿魅(北海道・50代・男性・その他)

4月18日 17時58分

認めるべきだと思う

患者本人の意思は何より尊重されるべきと思います。その意思が延命であっても、死を選ぶことであっても患者自身の意思が尊重されるべきかと思います。
こういったケースの場合は、医師は非常に難しい立場に立たされるかと思いますが、私の考えとしては医師は患者が延命を望むような治療を進め患者自身が「生きよう」と思えるように精神的な支えでもあってほしいです。
末期症状の人間にもその人を愛してる人はいるわけですから。
ですが、患者自身が意識がない場合は家族の意向が反映されるべきかとは思います。「これ以上苦しませたくない」という思いもあって当然でしょう。

生死に関わることですし、どの立場の人間も安易な判断はできません。担当医の他にカウンセラーがついて精神的に患者・家族と医師をケアできる仕組みが必要と思います。患者や家族が死を選んだ場合は、それが殺人などに問われないような法の仕組みも必要でしょう。

ふぁいあ(滋賀・20代後半・男性・製造業)

4月18日 2時51分

認めるべきだと思う

自身が60歳になった時意識も無くただ呼吸をしているだけで
延命治療をされて家族特に子供に負担を掛けるのだけは避けたい

子供にもそのように話をしたところいやな顔をしましたが
私の最後の願いでもあります

houki youko(長崎・60代・女性・専業主婦/主夫)

4月17日 23時41分

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