サイト内検索:

奇妙な依頼 ― 殺人罪と嘱託殺人罪 第二回

 四郎がKと知り合ったのは、2年ほど前、アルバイト先のオーナーに紹介されたからだ。
 その店は、新進気鋭のインテリア・デザイナーが内装を手がけたということもあって、「洒落た隠れ家風の居酒屋」と、マスコミでも評判になった店である。
 その店は、本格懐石料理店で一儲けしたオーナーが、2軒目として開店した。旬の魚介類や懐石風の一品と、相応しい日本酒やワインを置いている。客層は、生活に余裕のありそうな30~60才代で、夕方6時から翌朝4時まで営業する。
 四郎がその店でアルバイトを始めたのは、大学院1年生の夏である。
 大学に入学したころ、世間は右肩上がりの大好況。息子が一流大学に合格したことを喜んだ親は、新築のワンルームマンションを契約し、7万円の部屋代の他に10万円の生活費を仕送ることを約束した。親の勤務先も、やれ特別残業代だボーナスだと、景気が良かった。だが、四郎の親ばかりではない。あの当時、景気の悪い話はどこを探してもなかった。日本中が浮かれ騒いでいた。
今となっては、新卒で就職すればよかったのか、とも思う。

しかし、4年になったとき、指導教授は当然のように大学院に残ることを勧めた。そのうえ、一足先に就職活動を始めた同級生たちが「思ったより厳しいよ」と愚痴るのを聞くと、専攻で学んだ知識の使い道もない一サラリーマンになることに、何の魅力も感じられなくなった。
「大学院に進学したい」と言うと、親は無邪気に喜んだ。院試も難なく通った。ところが、研究者として大学に残りおおせるには、さらに過分の学費がかかることが分かった。
修士、博士には先輩たちが余っている。博士課程を修了しても行き所がない者もいた。30才になって就職のあてもなく、研究室の主のようになっているのが哀れであった。研究職に就くには、この先輩たちが捌けるのを待たなくてはならない。それまで何年かかるか分からない。
数ヶ月うち、学部とは比較にならない学費に親が音を上げた。好況に翳りが見え、家計が厳しくなったためだ

しかし、専門書を揃えることもできないのでは、大学に残るどころの話ではない。院生たちは、親も研究者である者が多かった。四郎は引け目を覚えた。そして、人生で初めて、将来に不安を感じた。

今ならまだ方向転換できる。
第一に考えたのは、公務員試験を受験することだった。これなら年齢制限まであと数年ある。ところが、思いのほか金がかかることが分かった。
本気で合格を狙う者は、公務員試験受験のための講座を受け、模擬試験にも参加する。彼らが受ける講座や模擬試験は、全て受けておきたかった。公務員試験は競争試験だ。それには生活費2か月分ほどの費用がかかり、大学院の秋期授業料を使い込むことになる。
迷った挙句、この夏休みは受験費用を稼ぐためにアルバイトをしようと決めた。勉強時間は少なくなるが、やむをえない。全力で勉強するのは秋からだと、自分を納得させた。
 久しぶりにアルバイト情報誌を買い、繁華街で夜の仕事を探した。どうせ働くなら時給が高く小ぎれいなところにしたい。家庭教師は飽きが来ていたし、効率も悪かった。
道玄坂小路にあるその店で働くことにしたのは、そんな理由だった。

続く

«「奇妙な依頼」 第1回 | 目次 | 「奇妙な依頼」 第3回 »

ページトップへ