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アスペルガー障害 第九回

 山口紘一は、弥作の長女・竜子に対する殺人と死体損壊の罪で起訴された。検察官は懲役20年を求刑。
  マスコミ各社は、高級料亭の若主人が妻である女将を惨殺した猟奇事件として、一斉に報道した。
  弁護側は、犯行当時の被告人の責任能力に疑問があるとして、精神鑑定を請求した。

 わが国の刑法は「責任主義」をとっている。責任主義とは、犯罪の成立要件として「責任」の存在を必要とする建前をいう。これに対するのが結果責任主義で、犯罪時に行為者がどういう状態にあろうと、結果が起きた以上は行為者に罰を課する、という考え方である。
  では、「責任」とは何だろうか。
  現在では、責任とは「規範的な非難可能性」、すなわち行為者に罪を犯すについて故意・過失があっても、適法な行為をすべきであったと期待できない事情があった場合には、犯罪結果について責任を問えない―と考えられている。
  犯罪行為時に責任能力を欠いた場合などがそうだ。たとえば、精神性疾患に罹患した者は、自分の行為が犯罪行為であると認識できないか、あるいは認識できてもその認識にしたがって行為する能力を欠いている。そのような責任能力なき者に、通常人と同様に罪を問うことはできない、と考えるのである。
  心神喪失(行為の是非を弁別する能力、またはその弁別によって行動する能力がないこと)であると判断されれば、たとえ何人殺そうが、無罪である。
  また、心神耗弱(行為の是非を弁別する能力またはその弁別に従って行動する能力が著しく低いこと)と判断されれば、刑が必ず減軽される。

 本件の精神鑑定は、O大学医学部精神科の幡谷 誠教授によって担当された。
  被告人と鑑定人の面談は、15回にわたった。面談を通じて鑑定人が明らかにしようとしたことの主要な点は、いうまでもなく、犯行時から現在に至るまでの被告人の精神状態にある。
  こうして作成された5月4日付鑑定書によれば、被告人は「生来性アスペルガー障害に罹患しており、少年時のある時期から強迫性障害になった。また、犯行時には解離性障害を発症し、現在も続いている」という。
  つまり被告人は、生まれつきアスペルガー障害という精神性障害があり、少年期から強迫性障害が加わり、さらに犯行時には解離性障害を発症するという、少なくとも三段階の精神障害の過程を経て犯行にいたったことになる。

 アスペルガー障害とは、対人相互反応の著明な障害である。たとえば、人格形成途中に友人関係の構築に失敗したことなどが原因となって、特定の趣味に異常に熱中したり、習慣や儀式に固執したり、手足によって単純な反復運動をしたりするなどの傾向を現出する。
  また、強迫性障害とは、たとえば、特に不潔な物に触れたわけでもないのに、手に黴菌が付着しているという思い込みを持つ。罹患者は手を消毒しようとするが、いくら消毒しても黴菌が付着しているという強迫観念にとらわれ、著しい場合には、皮膚が消毒液で損傷するまで消毒行為をやめようとしない。このように、日常生活に支障をきたすに至るまで強迫観念に支配されている症状をいう。
  さらに、解離性障害とは、精神的意識障害の一種で心因性の意識狭窄を症状とする。意識障害には脳の意識混濁と心因性の意識障害があるといわれているが、そのうち脳の意識混濁は、生物的に脳に何らかの障害が生じて機能不全を起こすものである。他方、心因性の意識障害は、精神的・人格的な理由から意識の形成・保持に障害を起こすものをいう。
  たとえば、通常人は自分のした行為を一定程度記憶しているものである。しかし、心因性意識障害の状態では、自己の行為を、自分がしたという実感を持って想起することができなくなる。著しい場合には、自分が何者であるのかさえ把握することができなくなる。
  解離性障害がアスペルガー障害に基づいて発症すると、自分が空想の中に入り込んでしまい、現実と空想の区別がつかなくなることがあるという。

 鑑定人は、被告人との面談で、被告人が犯行時の記憶を保持しているか確認しようと尽力した。
  犯行時の記憶が無いか、極端に乏しければ、犯行時に解離性障害が発症していたとの判断が可能になるからだ。
  そうすれば、無罪も有りうる。

(続く)

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