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キズで毛羽立った古いソファに腰を下ろした 第四回

第4回

 ふと気がつくと、テレビは4時のニュースを流しはじめている。もうすぐこの部屋を出なければならない。

 画面は、「お天気の概況」から、「経済ニュース」に変わった。サブプライムローンの影響とやらで景気に翳りが出ているそうだ。しかし、バブル崩壊であれほど落ち込んだ不動産業や証券業が一時はそこそこ盛り返したというから、つくづく経済はシーソーゲームだと思う。ただ、株と同じで、いずれ上がると分かっていても、それまで待っていられないだけの話だ。
  部屋を出るため、ペットボトルをキャリーバッグに押し込んだ。このバッグにほぼ全財産が入っている。残りの財産、ささやかな家具や日用品は公園の仮テントにある。駅のコインロッカーを利用する仲間もいるようだが、私はほとんど使わない。
  店を出て、駅の手洗い所に入った。顔を洗うためだ。何ヶ月も風呂に入らず、ヒゲが伸び放題の者も多い。しかし、ああなってしまっては、まともな生活に引き返せないと思う。そして、小便まみれで高架下の通路に寝るようになったら、もう人間ではない。
いつものように、私はバッグから石鹸と剃刀を取り出し、手洗い所の鏡を使って丁寧にヒゲを剃りはじめた。剃刀の刃が頬に冷たい。
  鏡の中の顔を見るたび、他人の顔のようだと思う。頬がこけ、白髪も増えてしまった。もうすぐ定年を迎える歳なのだから、仕方がないのかもしれない・・・。しかし、これでもいい男だと、公園の仲間に誉められたこともあるのだ。「ゴッド・ファーザー」に出ていた、アル・パチーノに似ているらしい。若い頃のアル・パチーノは悪くない。しかし、歳をとってからは、神経質で孤独そうにみえた。私もあんなふうに見えるのだろうか・・・。

 夜明けの駅でヒゲを剃っている私は、まだ白旗を揚げられずにいる。もう一度浮かび上がりたい―。思うことはこれだけだ。
  まさか、自分がホームレスになるなんて、思っても見なかった。昔はホームレスと言わず、乞食といったものだ。寺や神社にはよくいて、襤褸を着て、莚の上にうつむいてうずくまっていた。多くは皮膚病にかかり、異臭を放って死んでいった。戦争で手や足がないものも見かけた。
  乞食というと、色をなして怒る奴がいる。しかし、それこそ、目クソ鼻クソを笑うというやつだ。こんな生活に、この先どんな希望があるというのか。
  頭の中で、いつもの堂々巡りが始まった。このような生活が、あと何年続けられるだろうか?

 今、私は、昼は山手線や中央線の駅で捨てられたばかりの週刊誌や漫画本を拾っている。夜は、麻布、世田谷、田園調布あたりの高級住宅街を回り、質のいい粗大ゴミを探す。そして本は古本屋へ、粗大ゴミはリサイクルショップなどに売り、金に換えている。
  この方法は、うまく行けば、月15万から20万くらいの収入になることがある。公園の仲間内では、稼ぎが多い方だ。稼いだ金は無駄遣いしないようにして、一所懸命貯めている。とにかく早くアパートを借りられるだけの金を貯め、住所を作らなければ、永遠に浮かび上がることはできない。

 しかし、心配なのは、体力が日一日落ちていることだ。
住処の周辺では競争相手が多く、一日中頑張ってもロクな雑誌が拾えない。また、下町をいくら物色しても、高く売れそうな粗大ゴミは捨てられていない。そこで、電車を乗り継ぎ、アタリをつけて下車しては、見知らぬ町を歩く。首尾よく高く売れそうなブツを見つけても、それを買い手の店まで運ばなければならない。この方法で稼ぎ続けるには、なにより体力が要るのだ。
  空き缶やくず金物を拾い集めて売る奴もいるが、そんな稼ぎは知れている。最近の不況でホームレスが多くなり、我も我もと空き缶に群がるため、以前に比べて多くは拾えなくなった。また、足元を見られて買い叩かれ、値が落ちている。これでは1ヶ月食べたら何も残らない。確実に、「敗残者」の仲間入りだ。

 一つだけ方法がある、と思う。それはもう一度、資金を集めて事業を起こすことだ。倉庫の片隅でいい、屋根のある場所を借りて商売をやる・・・リサイクルショップはどうだろう?私がブツを持ち込む店は、結構うまくいっているようだ。粗大ゴミから再利用できそうなものを拾って加工し、安価で販売したら?ホームレスから身を起こして、そんな会社を立ち上げた奴がいるというではないか。・・・マンション団地や社宅でガレージセールを開き、手数料を稼ぐというのはどうだ? 不用品を売って小遣い稼ぎをしたいが、時間がないとか、見栄が邪魔して、自分ではセールを開けないという者がいる。そういう者に代わって、小さなセールを開いてやる・・・そして売り上げの一部を戴くのだ。

 しかし、どの方法を取るにしても、問題は資本だ― リサイクル関係の事業なら比較的少額でスタートできるはずだ。仕入れにはほとんど金がかからないのだから・・・そうはいっても多少は用意しなくてはなるまい。何より場所が要る。それも、気軽に不用品を持ちこめるようなところでないといけない。それほどの資金を得るのは、今の生活では不可能だ。貯めているうちに、私の身体が音を上げてしまうだろう・・・・。
  知り合いの社長に、いくらか用立ててもらえないだろうか。それが無理なら、せめて保証人になってもらえないだろうか。亀戸から錦糸町辺りには、少なくなったが、昔親切にしてくれた社長連中がまだ経営者で頑張っているはずなのだ。私は、その内の2,3人の顔を思い浮かべた。
  私は山手線に乗り、新宿から中央線に乗り換えた。
  生き延びるためには、やはりそれしかない。もし断られたら?・・いや、彼らは情が深い。独立するとき、一文無しの私を励ましてくれたではないか?冷たい仕打ちはされないはずだ。
  でも、もし断られたら、そのときはどうしたらいいのだろう。―いや、それでも引き下がるわけにはいかない。私にはもう時間がないのだ。
  でも、万が一断られたら? 私は、擦り切れた上着の内ポケットに掌を当ててみた。そして、ヒゲ剃りナイフの感触を確かめた。

 午前7時、私は10数年ぶりに、亀戸駅に降り立った。
  なんと美しくなったことだろう。事務所を構えていた当時と比べて、駅も町も見違えるようにきれいになっていた。
  良質の粗大ゴミを探して東京中を歩き回った私だが、実は、この駅ばかりは下車することができないでいたのだ。「次はぁ、亀戸、かめいど・・・」というアナウンスを耳にするだけでも、心が痛んだ。良かったことばかりが思い出される。辛かった。知り合いに会うのも恐かった。
  商売に失敗は付き物だ、特にあの時期は、失敗した者だらけではなかったのか。資本が潤沢な者、銀行に渡すものがある奴は持ちこたえられたが、資本が足りず、銀行に身ぐるみ持っていかれた奴は転落した、それだけではないか? ― 何度もそう思おうとしたが駄目だった。一度味わった敗北感は拭い去れず、今も私を苦しめている。
  公園仲間にも商売に失敗した者が何人かいるが、皆、多くを語ろうとしない。打ち込んで敗れた者ほど、そうだった。失った生活の心地好さと、現在の生活の厳しさのギャップは冷酷だ。頭で分かっていても、身体と心がそれについていけないのだ。自暴自棄になり、血を売ってまで、粗悪な薬に手を出す者もいた・・・。
  そんな連中から身を剥がすようにして、私は孤独を守ってきた。群れるようになったら抜け出せない、理由もなくそう思えて仕方がなかったからだ。心の中で反芻する将来の夢だけが、私の友人だった。

 駅の案内図で、知り合いの社長の屋号を探すことにした。当てにしていたのは3人ほどいたが、その中の2つは元の住所から消えていた。― もしかすると、商店を貸しビルか何かに立て替えたのかもしれない。
ビルのオーナーは最上階に住居を構えることが多いから、訪ねていけば会えるかもしれない。しかし、そんな人は、商売は止めてしまっているだろう。金の話をするには、やはり現役で頑張っているに越したことはない。

(続く)

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