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無罪推定―3通の起訴状 第三回

1 被告人・石井直也

 石井直也は事件当時26歳だった。
  昭和59年7月、覚せい剤取締法違反(使用)の罪により、懲役1年6月、執行猶予3年、付保護観察の有罪判決を受けた。その後、両親のいるH区・・町の自宅に戻り、付近農家の手伝いをするようになった。そして、同年12月頃、友人の紹介でC工務店でダンプの運転手として働くようになった。
  しかし覚せい剤と縁が切れず、昭和62年10月、再び覚せい剤使用の容疑で逮捕された。2度目の逮捕であり、懲役1年2月の実刑判決を言渡され、服役した。
  昭和63年9月、仮出獄して自宅に戻り、C工務店の温情により、再びダンプで砂を運搬する業務に従事することになった。

 石井は2度目の逮捕の前からある女性と交際するようになっていた。
  その女性はC工務店近くのスナックでアルバイトをしていた。石井は工務店の仕事仲間と同店を訪れて知り合ったのである。二人は週に1,2度、仕事の終わった後にドライブなどをし、ホテルで肉体関係を持っていた。まもなく石井は逮捕されたが、仮出獄した後も交際を続け、事件の2ヶ月ほど前まで頻繁に会っていた。
  しかし、女性が仕事の都合で石井の誘いを断ったことから口論となり、その後は誘いを断られることが多くなった。石井は彼女との結婚を考えていたものの、思うように会えなくなったため、他の女性と肉体関係を持とうと考えるようになった。

2 3人の被害者

その1 山本弘子の場合

 その頃、被害者・山本弘子は夫と不仲となり、4歳になる息子を連れて婚家を出、実家に戻った。そして和装関係の会社でアルバイトとして働くようになった。実家はC工務店のすぐ近くであった。石井はたまたま弘子を見かけて興味を持ち、交際を申し込んだ。
  その頃から弘子は、家族との夕食が終わった頃に電話を受け、服を着替えて出て行くことが多くなった。外出する際、息子が起きていることもあったが、決して連れて出ることはなかった。
  平成元年1月25日は、午前8時前アルバイト先に出勤し、午後7時前退社している。帰宅した後はいつもどおり、同居の母親が用意していた夕食を取った。7時半頃、居間の電話が鳴り、弘子が受話器を取って応対した。電話の時間はおよそ20秒くらいであったが、家族には相手の声は聞こえず、名前も分からなかった。
  電話が終わった後、弘子は服をズボンからスカートに着替え、カーディガンを羽織った。そして化粧を直し、
「友達の車がパンクしたさかい、送ってくるし」

と家族に告げた。息子が一緒について行くと言ったが、弘子はこれを許さずに自分の軽乗用車に乗って外出した。
翌朝になっても、弘子は帰宅しなかった。そして2日後、死体となって発見された。

 司法解剖により、死因は鼻口孔閉塞兼扼頸に基づく窒息であり、他殺と考えられる。
  同人の死から解剖着手時である平成元年1月28日午前零時までに経過した時間は、死体現象から約2日ほどと推測される。
  さらに同人の胃内容の消化程度、腸内容の程度から、食後約1時間以内に死亡したと推定される。

その2 竹下みち江の場合

 竹下みち江(失踪当時48歳)は、木屋町通りにある老舗料理旅館の従業員であった。
  昭和62年7月8日、同旅館には午後6時頃から8時頃まで宴会が入っており、みち江は仲居としてその宴会を担当した。午後9時過ぎ、同僚とともに旅館を出て、行きつけの小料理屋に立ち寄った。
  店を出た後、居酒屋Lの前を通りかかった際に「もう少し飲んでいかへん?」と同僚を誘った。しかし同人が断ったため「ほな、うちも帰るわ」と言ったという。二人はその店の前で別れた。
  みち江は午前零時を過ぎても帰宅しなかった。家族は勤め先の同僚や心当たりの友人に電話したが、いずれも行き先について心当たりがなかった。
  みち江の足取りは居酒屋Lの前で完全に消えてしまった。それから平成元年1月27日に遺体で発見されるまでの間、みち江の消息は全く不明であった。

 みち江の死体は完全に白骨化していた。
  死因、他自殺の別は不詳である。姦淫の有無も不詳であり、薬物、アルコールを飲用したかも不詳である。

その3 藤沢加奈子の場合

 藤沢加奈子(失踪当時50歳)は、夫と3人の娘を持つ主婦であった。自宅はK市の高級住宅街として知られる・・町にあり、夫妻はそれぞれ専用の乗用車を所有していた。
  昭和63年12月7日午後7時過ぎ、加奈子は長女を塾に送り届けた後、S区にある市民センターに向かった。市民センターでは、午後8時から、K市主催のボランティア講習会が行われる予定であった。加奈子は友人とともに1ヶ月前から予約していた。
  しかし加奈子は講習会に現れなかった。愛用車は市民センター付近の百円パークに停められたまま発見された。

 加奈子の死体は全身に腐敗が進んでいた。
  外表検査においては蛆虫が多数付着し、内景検査においては内臓が蛆虫に蚕食されていた。損傷検査においては、外表上に損傷は認められないが、頸部の皮膚、筋肉には出血が認められ、前頸部深層においては骨折が認められる。また、頸部内景にある損傷の性状、程度、配列から、同人は手指により扼頸されたと思われる。
したがって、死因は扼頸に基づく窒息であり、他殺と思われる。

 3被害者のうち、石井が山本弘子と交際していたことは事実であった。
  しかし、他の2人について、交際関係や面識があったことは証明されないままであった。石井も2被害者には全く見覚えがないと供述した。

(続く)

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