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インターネットと情報財(2/4)

 ネットで情報流通を考えるためには、音楽や映画ソフトなどの情報財の性質を理解しておくことは大切だ。
 カメラや机などの物理財と違って、情報財は大量生産にコストがかからない。最初のひとつを作る初期費用は膨大だが、できてしまえば、ダウンロードサイトに登録するだけで大量生産と同じ効果がある。
 経済学で言う限界費用(製品を1個追加生産するコスト)は限りなくゼロに近い。

 コピーが無料なので、情報財では競争市場は成立しない。いくらでも価格を下げることができるからだ。
 例えば、著作権切れの芥川の名作をネットで販売することを考える。3日かけて「鼻」をタイプし、ダウンロードサイトに登録する。価格を500円に設定する。自分でタイプすることを考えると500円は安いので購入する人もいるかもしれない。
 しかし、ビジネスがうまく行っているという話が広まるや否や、別な人が「鼻」をタイプし別なダウンロードサイトを開設するだろう。いや、単に、最初にタイプされた「鼻」をコピーし、販売を始めるかもしれない。価格競争が始まり、「鼻」の価格はみるみる下がり、ほとんどゼロになる。
 それを観察していた出版社はオンライン芥川全集の出版を諦めるだろう。初期費用を回収できないのは明らかだから。

 これと似た現象がいくつも生じている。
 米国では、電話帳を中国に空輸し、現地でCDを作成し、米国で販売して大儲けした人がいる。電話番号には著作権がないから可能になったことだが、儲けられる期間はごく限られている。著作権があっても類似商品の多い、辞書や百科事典のオンライン版価格は数十分の一にまで下落した。
 情報財は著作権で独占的権利を保護しなければ市場は成立しないのだ。コンテンツ開発者が食べてくためにも、情報市場は著作権に守られた独占市場へと向かわざるを得ない。頭では理解できるのだが、ハリウッドの繁栄を見ていると、コンテンツ制作は守られすぎていないかと感じてしまう。
 しかし、実際の現場はそうでもないようだ。知人に聞くと、例えばアニメータの年俸は中堅で200~400万、トップクラスでも2,000~3,000万らしい。情報財そのものは著作権で守られているが、類似の商品や、他業種との競争は厳しく、決して独占の利のみを得ているわけではなさそうだ。

 ところで、芥川の「鼻」は青空文庫に行けば手に入る。ボランティアの人たちが、著作権切れした名作を次々と電子化している。
 価格がゼロということが人間にとって価値がないということではない。芥川の作品は永久に無料で我々の心を豊かにしてくれる。

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