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虐待の果てに ― ある幼児の死 第五回

第5回

 倫子は武の、娘・愛奈に対する態度にも失望していた。
  愛奈は2歳8ヶ月で、少し小柄だったが、健康に生育していた。性格は素直で明るく、挨拶などもきちんとできた。母親がいないことに慣れていて、ひとりで好きな歌を歌ったりしていた。
  武は子どもが好きだと言っていたから、倫子は安心していた。たしかに、同居をはじめた平成16年4月ころは、武の方から愛奈に話しかけることもあった。
  しかし、徐々に不快がるようになり、最近では、倫子が愛奈の話をするだけで「知らん知らん」と遮ってしまう。倫子が愛奈の世話をしていると、「タバコが無いど」などと用事を言いつけ、後回しにすれば怒り出した。
  愛奈もはじめは「新しいおじさんや」と懐いていたが、子ども心に武の気持ちを察し、近寄らなくなっていた。

 「この頃は寄っても来よらん。胸糞悪いガキや」

 武はリビングの隣の和室で寝ている愛奈に目をやり、吐き捨てるように言った。

 「そんなこと言わんといてえな。・・なぁ、ええ子やろ、いつも静かにしとるやろ?顔も可愛いやろ?」

 倫子はとりなすように言ったが、武の表情は固かった。

 「ふん、あれに1部屋取られてしもうたわ。・・・子連れは面倒臭いのぅ。旅行にも行けへんやないか」

 旅行する余裕がどこにあるのか、と言い返したかったが、辛抱した。

 「3人で行ったらエエやん。なぁ、あんた、子ども好きやて言うてたやん」

 「あのガキは愛想悪い。何や臭いしな。 ―どや、2人で生活保護でも受けたらどうや」

 倫子は驚き、

 「それ、出て行けいうこと?」

 「ワレはガキばっかり構うて、亭主は放ったらかしやないか。ここを誰の家やと思とんのや」

 「うち、ちゃんとしとるやん?」

 「アホぬかせ、ろくなメシもよう作らんくせに。ワシもあてが外れたわ、もうちょっとマメな女やと思とったがのぅ」

 「そんなこと言わんといて。―な、うち一緒にいたいねん。もう他所へ行きとないねん」

 思いがけず涙がこぼれた。気がつかないうちに、倫子は自分を追い込んでしまっていた。

 「―実家には戻れへん。みんな、何にも助けてくれへんのや」

 「何を甘えとんのじゃ、エエ年こいて。お前に稼ぎがないだけやないか」

 武は立ち上がると、上着を取った。

 「どこ行くん?」

 「こんな窮屈なとこにおられるかい。あ~あ、自分の家にも居られへんのぅ」

 倫子は武の機嫌を取ろうと、

 「あ、パチンコ行こ、うちも一緒に行くわ」

 武は黙っていたが、表情が緩んだ。パチンコが利いたらしい。武は無類のパチンコ好きだった。

 「愛奈はひとりで大丈夫や、後で私が世話するさかい、あんたは気にせんといて。
さ、行こ行こ」

 倫子は自分から立って、部屋の電気と暖房を消した。玄関ドアが音を立てて閉まり、二人は出て行った。
  愛奈はひとり、暗い部屋に残された。

(続く)

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