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虐待の果てに ― ある幼児の死 第九回

 同居して初めての正月を迎えた。

 暮れにちょっとした不動産の取引が成功して、武は30万円ほどの臨時収入を得た。二人はその金でパチンコをし、映画を見、帰りはレストランで食事をとって、楽しく遊び歩いた。
  愛奈はベランダに出されたまま、かえりみられることもなくなった。水のほかには1日1~3片のチョコレートを与えられるだけだった。食べる量が減るにしたがって排泄も少なくなったので、おむつはまったく換えられず、入浴をさせることもなくなった。愛奈は極度に痩せ、完全な寝たきりになった。
  小正月が過ぎたころ、厳しい寒波が来た。倫子は気まぐれにかゆを作り、与えることにした。やはり受けつけず、吐いた。
  非常に栄養の不足した状態がある期間続くと、消化器や腎臓などの内臓に障害が現れ、摂取したカロリーすら消化できなくなる。また、心臓の神経細胞も萎縮変性することが知られている。
  倫子はかゆを与えるのを止め、いつものようにチョコレートを口に含ませた。

 1月22日の朝、倫子は愛奈にチョコレート1片と、水道水をコップ4分の1ほど与えた。そして、武とともにパチンコに出かけた。二人とも勝ったので、その金でカラオケに行った。
  帰宅したのは午後8時過ぎであった。倫子はサッシの鍵を掛けようとして、愛奈が動かなくなっているのを発見した。
  連絡を受けた病院の医師は、担ぎこまれた女児を見て目を覆った。遺体は正視に耐えない極度のるい痩状態にあり、頭髪はほとんど脱落していた。身体は全体に萎縮し、皮下脂肪がなかった。このことから、長期にわたる飢餓状態が続いたことが推察された。
  また、仙骨部・左右上前腸骨棘部・左右下肢に褥創があり、臀部にはカビ様のものが生えていたことから、数週間程度はほとんど体を動かせない状態が続いたと見られた。
  つまり、長期にわたる虐待があったことが推察されたのである。

 実母・倫子は、保護責任者遺棄致死罪で逮捕された。
  S署の取調べに対し、倫子容疑者は当初、「ベランダに出したのは躾のためであり、死ぬとは思わなかった」旨、供述していた。
  しかし2日目の取調べ中に突然号泣し、殺人の未必の故意があったことを自白した。
  それによれば、野中 倫子(36歳)は、平成16年4月ころ、長女・愛奈を連れ、愛人・石原 武(41歳)と同居を始めた。しかし、愛人が長女を疎み、倫子がその世話をするのを露骨に嫌ったことから、その歓心を買うために、あえて長女の世話を怠り、このまま死んでも構わないと思いつつ、極度の飢餓状態のまま、厳寒期のベランダに放置を続けたということであった。
  この供述を受けて、石原 武に対しても、任意で事情聴取が開始された。武は一貫して、「被害児が虐待を受けていることは知らなかった」と主張した。
  しかし、23日間の勾留の後、倫子と武は殺人罪で起訴された。
  倫子は殺人罪が確定した。しかし、倫子の共犯者とされた武の弁護人は、武に殺人罪は成立しないと主張して争った。

(続く)

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