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虐待の果てに ― ある幼児の死 第十回

第10回 検察官及び弁護人の主張 

(参考・さいたま地裁 平成18年5月10日判決)

1 検察官の主張

公訴事実(抜粋)
 被告人・石原 武は、大阪府堺市A町B番地所在のCマンション206号室の被告人方居室において、野中 倫子及びその長女である愛奈(当時3歳)と同居していたものであるが、・・・愛奈に対してその救命のために速やかに医療機関による治療を受けさせるべき義務を負うに至ったにもかかわらず、愛奈が死亡してもやむを得ないものと決意し、倫子と共謀の上、・・・愛奈に対し医療機関による治療を受けさせることなく、愛奈をベランダに隔離したまま放置し、よって、同日、同所において、愛奈を極度の低栄養により飢餓死させて殺害した。
罪名及び罰条
殺人 刑法199条

2 弁護人の主張

 これに対し、弁護人は、被告人による殺人罪の実行行為は存在せず、被告人には殺意もなかったのであるから、殺人罪は成立しない旨、主張した。

(1)不作為による殺人罪の成立について
 平成16年4月ころより被告人が、被害児の実母である倫子と同居していたことは認める。
しかしその実情は、実家に受け入れられない倫子を哀れんで、被告人が行き所のない母子に寝所を提供したというにすぎず、両名は互いの人的関係には没交渉であった。現に、倫子は被告人に対して「子どものことは自分で世話をするから放っておいてほしい」旨の発言をしており、子どもの養育について被告人に協力を求めることもなかった。
また、被告人と倫子は独身であるところ、互いに信頼しあい関係を継続させようとすれば、親族に紹介したり入籍したりすることが自然である。しかし、同居から半年以上たちながら、そのような事実は一切ない。これは両者の関係が単なる同居の域を出ないものであり、信頼関係が存在していなかったことの現われである。
さらに、被告人はこの数年間定職に就かず、したがって定収入もなく、また日々を怠惰に過ごし、仕事を探すこともなかったのである。しかし特に男性において、相手の女性と関係を継続させようとしつつ、このような生活態度を続けることは稀なのである。すなわちこの事実から、被告人は倫子との関係を継続させ深化させる意思がなく、同時にその娘とも、新たな親子関係を構築する意思はなかったということができる。
  以上の事情から、被告人は倫子の娘を保護養育すべき立場にはなく、その救命のために速やかに医療機関による治療を受けさせるべき法律上及び条理上の義務もなかった。
  検察官の主張する殺人は、いわゆる「不作為」によるものであるところ、不作為犯の成立にはその前提として作為義務の存在が要求されることは、判例上も明らかである。
  したがって、作為義務がない以上、不作為の実行行為は認められず、殺人罪は成立しない。
また、被告人は、実母の倫子において娘の養育を行っていると信じていた。被告人には定収入がなかったが、倫子には娘の養育をするに足る収入があった。つまり被告人には幼児を保護養育する能力がなかったが、倫子にはあったのである。
さらに、上述のように倫子は、被告人に対して「子どものことは自分で世話をするから放っておいてほしい」旨の発言をしており、子どもの養育について被告人に協力を求めることもなかったのである。
このような状況では、仮に被告人に作為義務があったとしても、保護救命等の作為をなすべきことは容易に察知し得なかったのである。
  したがって、作為可能性がない以上、不作為の実行行為は認められず、殺人罪は成立しない。
(2)殺意の存在について
 上述のとおり、被告人と倫子母子は単なる同居人にすぎず、淡白な人的関係にあったところ、このような自己と無関係な幼児に対して殺意を抱くことは不自然極まりないのである。
勿論、たとえば幼児がいたずらをしたような場合に、突発的激情的に殺意を生じることはありえないではない。
ところが本件被害児は長期にわたる虐待によって殺害されたことが明らかであるところ、このような虐待には、いわば継続的な殺意の存在が必要である。しかし被告人には、長期間にわたり執拗な殺意を継続すべき理由がないのである。
したがって、殺意が存在しない以上、殺人罪は成立しない。

(続く)

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