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虐待の果てに ― ある幼児の死 第七回

 武には相変わらず収入がなかった。しかし、倫子の給料は取り上げて管理した。勤め先の給料日を調べていて、

「ワシが管理しといたるわ。専業主夫っちゅうやつや」

などと言い、返そうとしない。倫子は武に金の使途を報告し、必要な分をその都度貰っていた。

 平成16年10月中旬ころ、愛奈の食事は1日2回であり、昼はカップラーメン、夜はコンビニで買ったおにぎりと菓子パン1個を与えられていた。倫子は料理が苦手だったので、愛奈のために台所に立つ気にはなれなかった。しかし、愛奈の食費と分かると武は不機嫌になったので、その金額は自然に減っていた。
  スナックの時給は悪くなかった。しかし、衣装代や帰宅時のタクシー代が馬鹿にならない。倫子が稼いだ金は、まず武がパチンコや飲み代に使い、次に光熱費・水道代・二人の食費、最後に愛奈のおにぎりや紙おむつ代に充てられた。
  同年10月下旬のある日、倫子は紙おむつの買い置きがないことに気づいた。

「えらい無駄遣いやのぅ。―そや、新聞あてとけや。けっこう水吸うで」

 倫子はさすがに躊躇ったが、逆らえば不機嫌になるに決まっている。そこで、新聞紙を5、6枚重ねておむつの大きさに切り、タオルを当ててセロテープで止めることにした。それ以来、紙おむつは買わず、新聞紙が代用された。
  ベランダに出され、ほとんど世話をされなくなった愛奈は、淋しさと空腹のためによく泣いた。11月上旬ころまで、付近住民はベランダ越しに女の子の泣き声を何度も耳にしている。
  そのころの食事は1日1回に減り、カップラーメン1食あるいはおにぎり1個が与えられた。愛奈の身体の脂肪は減少し、あばら骨が浮き出てきた。
  入浴回数も極端に減った。同居したころは毎日風呂に入れたが、1、2週に1度になっていた。
  用便は新聞紙のおむつにしていたが、それもほとんど換えられなくなった。使っていた肌掛け布団は汚れたため捨てられたが、新しい布団は与えられなかった。ベランダの床に新聞紙が敷かれ、その上に寝かされた。そのため背中や腰骨には床擦れが起き、化膿して異臭を放つようになった。
  幼児を非常に栄養の不足した状態に置くと、まず体重が減少し、ついで自立歩行が困難となる。次いで寝たり起きたりの状態となり、やがて寝たきりとなり、話すことも困難となる。泣いたりうなり声を上げるというストレスや苦痛に対する反応は、比較的最後まで保たれるものの、涙が出なかったり、声にならないことがある。
  また、3歳程度の幼児は、食事や入浴などの世話がされないと、最初は泣いたり駄々をこねたりするが、そのうちあきらめて無気力となり、食欲がなくなる、髪の毛が抜けるなどの症状が現れることが知られている。

 12月初めころになると、愛奈はほとんど声を出さなくなった。髪の毛も多量に抜け始めた。

(続く)

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